女遊びが死因かも!?「豊臣秀吉」の死因4つの説

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豊臣秀吉の死因の4つの説を知ろう

戦国時代では人間50年といわれています。豊臣秀吉が63歳で亡くなっていますのでごく当たり前に老衰であった可能性もあるということですね。

しかしただの老衰とは思えない事実がたくさん出てきて、そこは歴史へのロマンからいろいろな説へと移っていくのです。

 

1. 秀吉の死因「脚気」説

最近新たに囁かれているのは、脚気説です。日本では平安時代以降、京都の皇族や貴族などの上層階級を中心に脚気が発生しています。

精米した白米を食べることによってビタミンが欠乏し、心不全と末梢神経障害を引き起こすものです。当時まともな副食も取らなかったためでしょう。

江戸時代にはビタミンを含む蕎麦を食べると脚気が治ったといいます。

天下人となった秀吉が白米を食べていたことは当然だと思われます。脚気の説もあり得ると思います。

 

2. 「胃癌」か「大腸癌」説

秀吉は、下痢や腹痛などの症状があり、数ヶ月でみるみるやせ細ったといいます。その後は食欲がなくなり、痩せていきました。

手足を痛がっていたそうです。そのことを考えると胃か大腸が病魔に冒されていたのではないかと思われます。

癌の場合、下痢や便秘を繰り返すことから始まり、痛みが出てきます。そのうち手足のような関係のない部分にまで痛みが及ぶそうです。

漢方薬も効かず無意識に失禁することもあったそうです。これは高齢によるものからかもしれませんが癌であったこともその症状からは考えられます。

 

3. 「女遊びのツケ」という説

豊臣秀吉は美人とみればすぐに側室にしてしまうほどの女好きで有名ですね。それが高じて性病や梅毒などの少し恥ずかしい病名を付ける人もいます。

こちらも可能性は大いにありますね。

 

4. 「暗殺」された説

先に述べたように、秀吉は下痢や腹痛がありやせ衰えました。これにはヒ素を使った暗殺説も考えられます。

ヒ素を毎日少しづつ飲ませていくとこのような症状が出るそうです。

イエズス会のルイスフロイスの書には、前田利家が秀吉の命を狙いヒ素をもったのだと記しているといいます。

なぜ前田利家は秀吉を殺そうとしたのでしょう。それは秀吉のキリスト教徒弾圧によるものだったといえます。

前田利家はキリスト教を大変信仰していました。彼はキリシタンだったのです。

キリシタンを弾圧する秀吉が許せなかったのでしょう。秀吉の死でキリシタン弾圧は無くなりました。

これを見るとこの暗殺説にはとても信憑性を感じられますね。

死因についてもこれほどの諸説を呼ぶ豊臣秀吉はやはり偉大な天下人だったといえるでしょう。

最期は幼い秀頼をくれぐれも頼むと言い残したそうですが、
「露と落ち露と消えにし我が身かな 浪速の事は夢のまた夢」という立派な辞世の句を残しています。

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